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日本人は古来より、自然の神様(山海川風雨などの八百万の神)を崇め、社を建て神社としてきました。
それでは何故その場所にできたのかとの疑問が湧いてきます。
特に感じたのは、千葉県香取市の香取神宮、利根川を挟んで茨城県鹿嶋市の鹿島神宮です。
どちらも小高い丘陵の上部に鎮座しています。
この大きな理由は、縄文海進と言われ現在より海面が高く、平野部に海水が浸入していたことです。
・縄文海進シミュレーション
上記のシミュレーションから見ますと佐原、潮来、霞ヶ浦の奥まで広大な内海が広がっており、現在の神宮付近にて海面の状態確認、安全祈願、凪の祈りなどを行っていたのではないでしょうか。
氷川神社、氷川女体神社、調神社、一言主神社などが海岸付近に存在しています。
出雲風土記に記載されている【国引き神話】も頷けます。
また、野田市には有名な貝塚が多数あり、江戸川方向(東京方向)が海だったことがわかります。
野田市:史跡 山崎貝塚(2013.1.27) 標柱奥が東京方向
説明板
貝塚右側
貝塚中心(東京方向に傾斜している)
貝塚左側
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